ひたちなか市指定有形文化財
旧會澤家住宅は、3期にわたってつくられました。最初は「オクザシキ」と「ナカノマ」の二間で、長倉村(現茨城県常陸大宮市)に、山伏の家として建てられたと言われています。
その後、1700年代半ば頃に那珂市に運搬されて「イタノマ」などが増築され、医業が営まれていたと言われています。
さらにその後、土間部分が増築され現在の姿になり、民家としては特徴的な形となりました。
この家は、規模が大きく、全体的にまとまりがあり、美しい民家と言えます。
「オクザシキ」には床の間や棚、付け書院が整っており、梁などの材料が細く、数寄屋的な印象があります。
※山伏とは山中に籠もり、修行を積む修験道の行者です。かつて、水戸領内には多くの山伏がいました。
この家の変遷
- 第1期…長倉村(現常陸大宮市)に、山伏の家として建築
- 第2期…現那珂市鴻巣に移築され、「イタノマ」などが増築
- 第3期…土間部分が増築されて、現在の姿となる